セキセイインコの思い出 雑記・こもごも 2015年10月26日 今回、久しぶりに小鳥を飼育してみようと思ったわけですが、かなり昔にセキセイインコを飼っていたことがありました。 記憶が曖昧で恐らく中学校一年生の正月だったと思うのですが、父と一緒に雪道を車で行き(当時は雪国で暮らしていました)、何のきっかけかは憶えていませんが、青と白のセキセイインコのヒナを連れて帰りました。もしかしたら元々小鳥を飼うつもりで向かったのかもしれません。確か980円。安っ!と思ったので値段だけははっきり憶えています。 今、文鳥関連で色々調べていてわかったのですが、そのインコは羽もまだまばらで、飛べなかったのは確かなので、孵化後3~4週間だったと思います。 当時何の知識もなく、飼育本も買ったような気がするのですが読んだ記憶はなく、今思い返せばヒナからよく育ったな!と思います。 もちろん管理人自身は挿し餌をした記憶がなく、忘れているか、家族がお世話してたのかもしれません。 名前は、厨二心を遺憾なく発揮し、長くてカッコいい神のような名前を苦心して捻り出したのですが、結局、家族はおろか発案した本人ですら覚えられない有様で、いつしかピーコと呼ばれていました。 飛べるようになる前に、ふわふわのお腹に指をあてて、指に乗るように訓練したのを憶えています。 当時は手乗りうんぬんとか全くわかっておらず、ただ気が赴くままに飼育していただけだったのですが、結果的に管理人にベタベタで、いわゆる手乗りインコになりました。 管理人の耳たぶとりんごが異常に好きで一心不乱に食いつく姿が可愛い仔でした。 小鳥は呼んだら来るという概念をその当時持っていなかったので、名前を呼ぶと管理人の頭や肩に飛んでくるピーコは他のお宅の鳥に比べて相当賢いと思っていました。そんなことはなかったのですが。(インターネットなど一般的ではない時代でしたので、鳥情報は本か鳥飼いの友達から得るしかありませんでした) 初飛行の時は家族大歓声でしたが、ふらふらと高度を下げ、壁付けの四角いピアノの裏にガサガサガサガサッ!と墜落し、この世の終わりのような悲鳴をあげていたのはいい思い出です。 雪国の一戸建ては二重窓になっていることが多く、外は極寒雪まみれでも部屋の中は暖かい造りになっています。しかしながら、今のような保温電球など暖める為の設備もなしに、よく健康に育ってくれたと思います。今思えば恐ろしい。 当時は小鳥の知識などなく、ヒナの段階で性別が判別できないというのも知らなかったので、性別不明のまま飼育し、判別方法など知る由もなく、結局解明しまいままお星になってしまいました。卵を産んだような気もするのですが管理人の記憶は当てになりません。 高校2年の時のある朝、様子を見たら体調がかなり悪そうで、目は半開きになり羽毛は所々抜け、止まり木に掴まっているのがやっとという状態になっていました。あまりにもボロボロで、ピーコの寿命が来ようといているのを感じないわけにはいきませんでした。 ちょうどその時期、父と母が知り合いのお宅で産まれたトイプードルの仔犬を貰ってきたので、そのストレスだったのかもしれません。 今思えば別部屋で飼えば良かったのですが、仔犬はピーコをチキンだと思っている節があり、並々ならぬ興味を示すので、怯えて衰弱してしまったのかもしれません。可哀そうなことをしました。 当時は病気とかもよくわかっておらず、田舎なので動物病院も近くになく、そもそも病院に行くという頭がなかったので、心配しながらも登校し、学校を飛び出す勢いで帰ってきたのですが、部屋にはいるとケージの中にはもうピーコはいませんでした。 その時家には母と兄がいて話を聞くと、私が帰る前にピーコが亡くなってしまい、兄が庭の花壇に埋めてくれたということでした。死に際に会えなかったのは残念ですが、管理人の為に亡骸をずっと置いておくよりは早く安らかに埋葬してあげた方が良いのには違いなく、それで良かったと思います。 今、実家の花壇のピーコが埋まっている場所には青と白の大きいアジサイが育っています。 果たして元々種があったのか埋葬後に蒔いたのかは謎なのですが、ピーコの生まれ変わりのように思えます。 その当時の経験や悔悟が今回に活かせるといいと思います。 とりあえずは、名前は覚えやすく簡単なものにするつもりです。 [1回]PR